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特集

浜松まつり

初子の誕生に地元は燃える
高く揚がれ、浜松の凧。

5月3日、4日、5日は浜松の最大イベント「浜松まつり」。
初子の誕生を祝って凧を揚げた町の風習が市民あげてのまつりへと発展。主役は、浜松市民であり、町であり、そして子どもたち。 空高く揚がる凧のように、すくすく育ちますように。
今回は、今年を祝う初子ちゃんたちの紹介と、浜松まつりの凧の歴史を紹介します。

初子ちゃん おめでとう

山下 光月ちゃん(1ヶ月)
妃咲ちゃん(3才)

我が家に新しい家族が増えました。

太田 優心くん(9ヶ月)

これからも元気いっぱい素敵な笑顔を見せてね。

井口裕貴くん(1才)

ぬいぐるみと音楽が大好き!

青木 瑠利ちゃん(10ヶ月)

オリンピックの王者は美しかった。美を求める人間になってほしい。

森 大空偉くん(7ヶ月)
一成伊くん(2才)
風羽音(5才)

毎日騒がしいくらい元気な姉弟です。ずっと仲良しでいてね

池富帆乃花ちゃん(2才5ヶ月)
友希乃ちゃん(2才5ヶ月)

おしゃべり盛んなやんちゃ娘達!甘え上手は、さすが女の子♥

村瀬 駿太くん(10ヶ月)

我が家の暴れん坊将軍(笑)元気に大きくなぁ〜れ!!

鈴木 諒くん(6ヶ月)

諒君、毎日沢山の笑顔をありがとう。元気な男の子に成長してネ!

金子南帆子ちゃん(4才)
下斗米 湧太くん(2才)

私は動物が好き、ぼくは電車。
会うとうれしくて仲よく遊びます。

鈴木 更紗ちゃん(3ヶ月)

よく寝て、よく笑う我が家のお姫様♥元気で優しい子に育ってね♪

坪井 梨菜ちゃん(2才8ヶ月)
欄菜ちゃん(3ヶ月)

梨菜ちゃん、欄菜ちゃん、健康で心のやさしい子になってね。

池野 瑞月ちゃん(1ヶ月)

我が家のニューフェイス、元気で丈夫な子に育ってね。

袴田 丈陽くん(10ヶ月)

大好きなお姉ちゃん2人に囲まれ毎日ニコニコのボクです。

佐藤 由依ちゃん(3ヶ月)

あーあーと話したり、笑ったり、家族の人気者。元気に育ってね。

榊原 碧ちゃん(1才)
悠真くん(3才)

元気に健やかに育ってね。誰からもすかれる子になってね。

平山 結月ちゃん(3ヶ月)

笑顔がカワイイ結月ちゃん。元気いっぱい大きく育ってね。

大村 修也くん(9ヶ月)

おかあさんだ〜いすき!!
イタズラの次にね!(^-^)v

浜松まつりの歴史

長男の誕生を祝って節句に凧を揚げるという風習は、一説によると今から440余年も前から行われていたといわれます。「遠州のからっ風」を追い風に明治に入って更に盛んになりました。一家に初めての子どもが生まれると、町を揚げてお祝をする。初めての男の子の「祝い」から、次第に男女の区別なく「誕生」を祝うお祭りとなりました。

1558〜
1569年
引馬城主飯尾豊前守の長男「義廣」公の誕生祝いに、当時の入野村(今の浜松市入野町)の住人佐橋甚五郎が大凧に「義廣」の名をいれ、城中高く揚げたのが始まりとされる。
1747年 浜松と吉田(今の豊橋市)の凧合戦を端午の節句(5月5日)に三方原で行ったとの記録が残る。
明治20年頃 この頃より大凧を揚げるようになった。
明治33年頃 凧の模様、組の凧印が決まってきた。
明治40年頃 田町の大安寺下、法霊寺前、機関庫付近(今の科学館)などの空き地に集まって揚げた。
明治41年頃 機関庫付近に集まって凧揚げに興じた。期間も4月10日頃から5月5日まで。
明治43年頃 鉄道員浜松工場(今のJR東海浜松工場)で揚げた。
明治45年〜 歩兵第67連隊連兵場(今の和地山公園)へ会場が移る。
大正5年頃 祭りの運営を行う統監部が結成され、統制のとれた祭りとなる(浜松市連合凧揚会の設置)、底抜け屋台が造られた。
昭和4年 初めての御殿屋台が野口町、八幡町で落成。
昭和5年 昭和天皇が凧揚げ祭りをご覧になられる。
昭和12年 戦争の為、凧揚げ中止。
昭和16年 紀元2600年記念のため、1日だけ凧揚げを行う。
昭和22年 /戦後初めて凧揚げ祭りが行われる。会場は今の静岡大学工学部西寮グラウンド。参加町30か町。
昭和23年 会場は一時中田島砂丘へ。
昭和25年 凧揚げまつりを浜松まつりと改称し、市民挙げてのまつりとなった。運営組織も浜松市自治会連合会、浜松市観光協会、浜松商工会議所、浜松市の4団体による浜松まつり本部が組織された。
昭和35年 浩宮徳仁親王殿下の御誕生に奉祝凧を揚げる。
昭和38年 5月1日〜5日までのまつり期間が3日〜5日間に短縮される。
昭和42年 和地山会場から現在の中田島へ移る。
昭和50年 5月5日の端午の節句にちなんで、子ども凧揚げが始まる。昭和30年以前から参加していた67か町に、卸本町が初参加した。以降、毎年のように参加町は増え続け、2007年度より172か町が参加している。

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町の凧と初子の凧

5月3日午前11時にのろしを合図に「凧揚げ合戦」が始まります。初日の3日は初子の誕生を祝う「初凧」を揚げる日。4日と5日は自町と他町とで相手の断ち切る戦いとなる激しい「糸切り合戦」が繰り広げられます。初子の名前と家紋が入った凧は、「切らない」「落とさない」ように、力強い男衆によって空高く舞い揚がります。合戦用の凧と初子の凧、空での違いを確認して下さい。※初子さん宅から「合戦に使って良い」との声が出た場合は、町凧に交じって合戦用にも使われているのだそうです。

凧印の由来

明治33年頃に町内凧が生まれると、町印が決まり初子の名前や家紋を入れるようになりました。当時は「絵柄」が主流でしたが、次第に参加町が増えると、大空に舞う凧合戦の時、どこの町かわかりやすいようにとデザインが「字凧」へと変わってきたのだそうです(途中でデザインを変えている町もあります)。凧印には、それぞれの町の歴史や町民の願いが深く刻まれているようです。

絵凧と字凧

絵凧

絵凧印は、昭和30年以前から参加している歴史のある町に多いようです。

千歳町の凧千歳町
この地方きっての古杜松尾神社が氏神。御身体を守護する猿田彦命(天狗様)をもって、他町の凧を威圧せんと若衆の意気衝天の心を表しています。
八幡町の凧八幡町
明治時代から八幡町の凧印は提灯にある親子の鳩でハの字を表し、鳩八といわれました。昭和初期、太陽に向かって羽ばたく凧印となっています。
馬込町の凧馬込町
参加する大人や子どもは全員奴姿に変装し、凧揚げ会場である浜松歩兵第67隊(現在の静大工学部)へ行きました。大正5年から奴の絵を使用しています。
砂山町の凧砂山町
参加当初は「す」であった凧印も、明治中頃から新豊院のお稲荷さんの狐にあやかり、狐を愛嬌のある図柄にしました。
入野地区の凧入野地区
時の引間城主飯尾豊前守の長男、義廣公の誕生を祝い、入野村住人の佐橋甚五郎の発案でその御名を大凧に配し、城中に高く掲げたことに由来しています。
肴町の凧肴町
元魚町にある松尾神社の杜紋の日鶴を肴町の凧印。松尾神社は、最初の浜松城内で守護神として祀られています。

字凧

昭和50年に新参加した卸本町から昨年の神立町、若林町北の凧など、字凧の多さが目立ちます。

卸本町の凧卸本町(昭和50年参加)
こ参加当初は『HOC」(浜松卸商センター)のマークを使用していましたが、昭和53年から卸商団地の「卸」のマークに変わりました。
文丘町の凧文丘町(昭和62年参加)
「周辺を大学・学校で囲まれている高台に在る町」という意味で、住民から考案・応募を募り、住民投票で決定した町名です。「小さなお子さんにも書き易い文字で」という気持ちも込められています。
大蒲町の凧大蒲町(平成7年参加)
大蒲を中心とする一帯は平安時代は蒲が生い茂った湿地帯だったのです。凧印には「蒲」の一字を大きく強く描いています。
米津町の凧米津町(平成14年参加)
米津町の「米」をデザインした凧印で、古くから地元の法被にも使われています。
神立町の凧神立町(平成19年参加)
浜松地方最古の杜、蒲神明宮の神紋と町名の「神立」の文字をデザイン化したもので、町民には馴染みの深いデザインです。

浜松の凧

浜松まつり用に制作する凧は正方形で2帖から10帖。風の強弱で揚げる凧の大きさを使い分け、突風では一番小さな2帖凧を、緩やかな風では6帖や10帖の凧を揚げています。町の凧印と初子の名前、家紋が描かれた凧印は、図柄が裏からでも、遠くからでも良く見えるように、明度の高い赤と紺の色使いが大半。絵柄の回りは溶かしたロウで輪郭を取り、染料のはみ出しを防いでいるのも特徴です。遠州の空っ風に負けないようにと骨の数も細かく・多く組まれています。

通常は市内の凧作り専門店が制作を手掛けていますが、ダイナミックな大凧を町内の人が協力して手作りしている町もあるのです。

趣味で作る手作りの凧、プロにも負けていない。

浜松市東区天神町。「天」の字が舞い揚がっているようにデザインされた「ヨコテン」は代々手作り。3代に渡って凧作りを伝えているのが伊藤平三さん(82)。16才から祖父を、父を、見よう見まねで真似て66年。伊藤さん自宅裏の倉庫2階、10帖の凧を広げればいっぱいになるという部屋が作りの場です。

伊藤さんの周りには、素人ながらもすでに職人技に化した仲間4人、伊藤茂次さん(82)、鈴木良一さん(77)、渡辺兵一さん(63)、伊藤安男さん(55)が集まる。

彼らの作る「ヨコテン」の大空に揚がる、実力の評判!

「その秘訣は?」と尋ねれば「なんだろうね」と皆笑う。

言葉では表現尽くせないコツを皆が身体で覚えているから。

通常、5〜10帖の場合25本を使う小骨がここでは21本に減らし、糸切り合戦に強い「軽さ」と「揚がる力」で、どこにも負けない自慢の凧を作っているのです。

「部屋が広ければ、一気に何枚もできるんだけれど」。

竹を組み、和紙を貼り、色を塗る。凧作りは、一つ一つの過程を終えての待ち時間がとても長く、この部屋では1日1枚の凧作りがペース。

「遠州の凧の会」として全国凧揚げ大会にも参加し、毎年100枚もの凧を作る。

今やプロにも負けないその腕を見込んで、浜松まつりでは他町からの依頼も多い。

年々自分達で作る町も増えている浜松。

最後の追いこみに入り、凧上げ会場で舞う日も近し。

中田島砂丘での「ヨコテン」にもぜひ注目を。

天神町の凧が揚がる秘密。

「凧作りは、竹やぶに出向くところから始まる」と伊藤さん。

生えている竹の中から、葉っぱの生え具合をみて凧に最適な 3〜5年の竹を選び抜く、確かな目を持っているのです。

浜松の凧は、正方形の真ん中からまっすぐの「尻尾骨」が出ているのが特徴。凧の揚がり具合を左右させる重要な役どころのこの竹は、火で炙って竹を柔らかくし、濡れたタオルで固定する。そんな地道な作業を1本の竹に1時間半から2時間も費やして「まっすぐ」に作り上げているのだそうです。

和紙の裏に組まれる骨は、「マサ割り」という放射線状。ホームベース状に美しい糸目が付くように小骨を結び、組み上げられた竹に襷(たすき)を付け和紙が貼られる。親骨は、「正方形」の形を整えるために填めたかと思えば、床で丁寧な絵柄を描く為に外したり、と細かな手間を掛けているのもココならでは。「揚がる」為に、和紙の厚さを薄くしたり小骨の数を減らすコツも彼らは知っている。10帖もの制作に、仲間の息の合った作業ぶりは見事。

そんな様子を、町の衆も手伝いにくる。作る大変さを身近で見ているからこそ、凧の扱いはとても丁寧。男衆のやさしい心遣いが、天神町の伝統でもあるのです。

取材協力
遠州の凧の会の皆さん、ご協力ありがとうございました。会の皆さんとヨコテンは、2006年浜松先行上映された浜松が舞台の「天まであがれ」にも出演しています。(2008年取材)

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